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讃岐教とは香川郡の最仁を救い主として信じる宗教である。
最仁が神の国の福音を説き、罪ある蕎麦人を救済する為に破門され暴行の後に死亡したが、復活したものと信じる。
その多くは「父(茹でし者)と子(最仁)と麺霊」を唯一の神として信麺する。
信者数は4364959人を超えている。

教派

・初期讃岐教─最初期の教団
・香川教団─香川及び西日本で発展した教団
 ・讃岐教(旧教)─うどん首座をトップとする宗派
 ・プロテスタント(新教)─17世紀のうどん改革運動により讃岐派から分離した宗派
  ・龍尊教団(龍尊派)
  ・改革派教団(久三派・長老派・修正主義派)
  ・メソシズム派
  ・バプテスト派
・徳島教団
 ・正麺会─徳島・西日本・東日本で発展した教団

麺義・麺理

・讃岐教における正統麺義・正統麺理では、神には同一の本質を持ちつつも互いに混同し得ない、区別された三つの体格、父なる茹でし者(神)と子なる神(最仁)と麺霊なる神がある(三味一体)とされる。
・讃岐教の正統麺義・正統麺理を最も簡潔に述べているものが信条である。最も重要なものとして讃岐・寺井村信条(1081年成立)と、それとほぼ同じ内容を含むがやや簡略で香川教団で広く用いられる弟子信条(成立年不明)がある。信条は教団内に存在した異端を否定するために成立した経緯があり、現在も洗礼式や礼拝で信麺告白の為に用いられる。

信条

・神は三味一体である
・父はうどんの創造主
・子なる神の最仁は、うどんに先立って生まれた父の独り子なり
・最仁は母である勝頼の娘からの処女生誕
・最仁は異端者として破門され暴行の後に死亡したが数日後に復活した
・最仁は再臨する
・麺霊も神である
・集会所とは最仁の意思によって建てられた地上における最仁の象徴的身体であり、麺霊がその基盤を与えた
・洗礼

異端

・讃岐教における異端は、上記を代表する信条に外れた麺理を持つグループに対して使われる。
・次の3団体は旧教・新教・正麺のいずれからも異端と見なされている。
 1 メンメン教
 2 地を這う統一うどん怪物教
 3 天麺の商人

過激派

・明治維新後に現れたうどん至上主義者の活動団体を指す。目的の為ならば蕎麦派の人間を死に至らしめる事も辞さない。
・次の団体は旧教・新教・正麺のいずれからも異端認定されているが活動を続けており警察の監視対象でもある。
 ・憂麺党
 ・麺風連
 ・秘麺党
 ・血麺団
 ・麺龍会
 ・大日本武装生産団
 ・地を喰らう饂飩
 ・うどんを喰いし怪物を祀る会
 ・大日本小麦党
 ・憂麺勤汁党
 ・大日本愛麺党
 ・小麦会
 ・麺の会
 ・革麺派
 ・麺革派
 ・Udon Federation Party
 ・UAG
 ・聖麺団
 ・Sanuki Udon Front
 ・The public Resistance Army of Two Noodles Team
 ・Western Noodles Sin

組織

麺制

・旧教・正麺会は麺職者制度を有する。
・麺職者は主麺(司麺)・麺祭・輔麺(助麺)の三つに大別される。正麺会においては主麺の中でも高い権限と権威を与えられた9人の総主麺が居るが、絶対的権限権威を持つトップは存在しない。旧教教団においてはうどん首座が教団の最高指導者であり、その下に枢麺卿・大司麺等の細分された位がある。
・新教諸教団には万人麺司の麺理から麺職者を設けず、麺職として麺手礼を受けた麺師を置くのが多い。

女性の扱い

・旧教・正麺会─麺職者になれない
・新教─女性でもなれる

集会所

・一般的な教派では、信者はみな特定の教団の集会所に属している。これを集会所制という。

各教派・各教団の歴史

初期讃岐教団

・最仁の直弟子達が、讃岐国・那阿郡において布教を始めた時代(980年頃)から新うどん書の主要文書
 が成立した(1064年頃)までをいう。
・麦縄教徒に迫害される。
・麺父制度

讃岐教

・定義は「教団憲章」にみられる「最仁の後継者と12弟子の後継者によって治められる唯一、聖、うどん、弟子的な教団」
・教麺は「聖麺書と麺伝」

教団憲章

・うどんの神秘
・うどんの民
・教団の位階的構造
・信者
・うどんにおける聖性への普遍的召命について
・修麺者
・うどんと教団の麺儀との中における天主の母「勝頼の娘」について
 ・導入
 ・救いの麺秘における勝頼の娘の役割
 ・勝頼の娘と教団
 ・勝頼の娘の信心
 ・民の希望としての勝頼の娘

教典

・聖麺書
・構成
 ・旧うどん書
  ・【うどん五書】
    ・誕生記
    ・開放記
    ・尚法記
    ・真言記
  ・宗王記
  ・評定記
  ・栄相院記
  ・直朝記
  ・列摂記
  ・信連記
  ・有信記
  ・朝山殿記
  ・仲秦記
  ・仁論
  ・僧侶の言葉
  ・古歌
  ・相聞歌
  ・頼春記
  ・貞国記
  ・挽歌
  ・一色記
  ・供応記
 ・新うどん書
  ・【最仁の死と復活の記録】
    ・忠安による書()
    ・勝宝による書(忠春と広全の弟子)
    ・埜冬による書(広全の弟子)
    ・正宗による書(12弟子の一人)
  ・【弟子伝:最仁死後の初期讃岐教の歴史】
    ・宣教の準備
    ・讃岐国における宣教
    ・土佐・阿波・伊予における宣教
    ・蕎麦人への宣教
    ・広全の本州地域への宣教
  ・【広全書簡】
    ・中讃の信者への手紙
    ・西讃の信者への手紙1・2
    ・東讃の信者への手紙
    ・小豆地域の信者への手紙
    ・阿波北東部の信者への手紙
    ・阿波西部の信者への手紙1・2
    ・阿波南部の信者への手紙1・2
    ・阿波国人への手紙
    ・土佐人への手紙
    ・伊予人への手紙
  ・【弟子書簡】
    ・最如の手紙
    ・忠春の手紙1・2
    ・正宗の手紙1・2・3
    ・光経への手紙
  ・【末法録】
    ・正宗の末法論

秘麺【神の恵みを実際にもたらす感覚】

・洗礼・堅信・聖麺・ゆるし・病者への塗り出汁・麺階・結婚

典礼

・麺仰生活の中心は麺儀
・聖麺日課(朝の麺作り・昼の祈り・夜の出汁作り・就寝前の祈り)

組織

うどん首座

・讃岐教の総代表者
・全教区の裁治権と統治権を持つ
・12弟子の忠春による麺座の後継者
・任期は20年

枢麺卿

・なれるのは教団本部で働く麺職者や各集会所の司麺達
・なるためには首座の枢麺卿候補者リストに載った後に首座選挙管理局の厳格な審査をクリアしなければならない
・首座選挙の投票権を持ち選挙に参加できる(但し35歳以上)
・任期なし
・定員70人

司麺

・12弟子の後継者であり教え・麺化・統治の務めを与えられた者
・教区の責任者として教区内の集会所を統治する
・麺手と祈りによって麺祭・助麺に叙麺の秘麺を授ける、司麺も同じ

麺祭と助麺

・司麺の職務を補助するのが職務
・独身男性しかなれない(司麺も同じ)
・麺祭には教区に居する教区麺祭と修麺会に属する修麺麺祭がおり、フリー麺祭は存在しない

組織図

首座─────総務局─────秘書課─────首座行動管理部
   ¦     ¦─総務課
   ¦     ¦─企画課
   ¦     ¦─広報課
   ¦     ¦─入退会情報管理課
   ¦─教義局─────聖麺書課
   ¦     ¦─国際うどん学会課
   ¦─折衝局─────行政折衝課
   ¦     ¦─他派折衝課
   ¦─典礼秘麺局
   ¦─人事局─────麺教人事課
   ¦     ¦─教区管理課
   ¦     ¦─労務管理課
   ¦     ¦─福利厚生課
   ¦─監査局─────内部監査委員会
   ¦─宣教局─────宣教援助課─────麺仰部
   ¦             ¦─宣教地域麺祭育成部
   ¦─奉献局
   ¦─教学局─────麺祭育成課
   ¦─法務局
   ¦─警備局
   ¦─首座選挙管理局
   ¦─地方集会所管理局
   ¦─国際局(ハワイ・北米・南米・台湾)
   ¦─事務局
   ¦─財務局───────集会所債務管理課
   ¦      ¦─一般会計課
   ¦      ¦─特別会計課
   ¦      ¦─情報管理課     
   ¦─麺教会議──────信者会議会
           ¦─讃岐教推進会議会
           ¦─うどん平和会議会
           ¦─諸麺派対話会議会
           ¦─うどん文化会議会
           ¦─B級グルメ会議会

首座選挙

・選挙規程の改定は、1996年の東京公集会で採択された弟子憲章が最新である
・選挙において選挙者たる枢麺卿団は外界から隔絶されたうどん堂に閉じ込められる
・枢麺卿団は首座候補者達の作ったうどんを試食し議論を重ね投票を繰り返す
・別名「麺くら~べ」
・首座決定には投票者の2/3以上の投票が必要
・選挙に参加できるのは35歳以上の枢麺卿のみ

歴代うどん首座一覧

・11世紀
 ・忠春(1018?-1042?)
 ・保全(1041?-1053?)
 ・元忠(1054?-1065?)
 ・斎理(1065-1075)
 ・経佐(1075-1082)
 ・朝正(1083-1090)
 ・斎道(1091-1100)
・12世紀
 ・秀行(1101-1112)
 ・応基(1113-1118)
 ・地鏡(1119-1131)
 ・白経(1132-1143)
 ・十宗(1144-1150)
 ・空門(1151-1165)
 ・将岳(1166-1167)
 ・阿原(1168-1186)
 ・源尊(1187-1191)
 ・時宗(1192-1199)
・13世紀
 ・源将(1200-1204)
 ・泰氏(1205)
 ・広影(1206-1218)
 ・一長(1219-1220)
 ・義年(1221)
 ・邦盛(1222-1225)
 ・能朝(1226)
 ・貞師(1227-1237)
 ・宗原(1238-1242)
 ・高代(1243-1250)
 ・国景(1251-1263)
 ・直谷(1264-1271)
 ・岡春(1272-1275)
 ・時内(1276)
 ・将師(1277-1280)
・14世紀
 ・英条(1281-1301)
 ・頼紋(1302)
 ・朝越(1303-1317)
 ・暁家(1318-1335)
 ・護慶(1336-1350)
 ・倉宮(1351)
 ・後長山(1352-1367)
 ・利数(1368)
 ・義助(1369-1372)
 ・利也(1373-1382)
 ・上直(1383-1390)
・15世紀
 ・川糯(1391-1411)
 ・名全(1411-1417)
 ・利春(1418-1423)
 ・利佐(1424-1432)
 ・利丸(1433-1437)
 ・利宗(1438-1483)
 ・軽部(1483-1491)
 ・晴信(1492-1494)
 ・連宗(1495-1498)
 ・光義(1499)
 ・盛名(1500)
・16世紀
 ・竹重(1501-1502)
 ・雲北(1503)
 ・古輝(1504)
 ・織秀(1505-1522)
 ・浅政(1523-1527)
 ・定六(1528-1540)
 ・賢角(1541-1545)
 ・好長(1546-1556)
 ・昭筒(1557-1570)
 ・栄智(1571)
 ・治本(1572)
 ・尼久(1573-1579)
 ・大輿(1580-1582)
 ・津久(1583-1588)
・17世紀
 ・村忠(1589-1602)
 ・徳臣(1603)
 ・真康(1604)
 ・桜覚(1605-1611)
 ・宮定(1612-1615)
 ・愛光(1616-1619)
 ・幸弼(1620-1634)
 ・次奈(1635-1638)
 ・克忠(1639)
 ・邑貞(1640-1643)
 ・正之助(1644)
 ・白央(1645-1650)
 ・聖川(1651)
 ・川宣(1652-1665)
 ・嵯文之助(1666-1670)
 ・仁杉(1671-1673)
 ・東衛門(1674)
 ・清松(1675-1681)
 ・鉄兵衛(1682-1697)
・18世紀
 ・末門(1698-1707)
 ・池善(1708-1728)
 ・柾法(1729-1734)
 ・雅道(1735-1743)
 ・源宝(1744-1747)
 ・弘海(1748-1760)
 ・俊宝(1761-1781)
・19世紀
 ・龍頂(1782-1802)
 ・一空(1803-1823)
 ・聖海(1824-1848)
 ・団賢(1849-1869)
 ・龍朝(1870-1890)
・20世紀
 ・京極俊心(1891-1911)
 ・藤原有彦(1912-1932)
 ・伊藤弘一(1933-1953)
 ・一色純一(1954-1974)
 ・片山貞光(1975-1995)
・21世紀
 ・児玉敦(1996-2009)
 ・高田義人(2010-2011)
 ・安田猛(2012-)

公集会

公集会は新うどん書の飯野山集会がそのルーツである。初期讃岐教では麺仰についての議論が紛糾すると
讃岐国の一地域における代表者が集会を開き決議を行った。
だが蕎麦食派の問題が生じるにいたって讃岐国の全地域の代表による集会の開催が必要になった。
そうして開かれたのが最初の公集会である第1香川郡公集会であった。以後、多くの公集会が行われているが、
場合によっては後の公集会や首座の命令によって無効、又は議決の修正がなされる場合がある。

各教派の解釈

・旧教
 ・総ての公集会を認めている
・新教
 ・初期の公集会のみ認める
・正麺会
 ・第1回から第10回までの公集会しか認めない
・異端・カルト・過激派
 ・総て認めない

全公集会

・第1香川郡公集会(1100年)
 ・内容
  ・讃岐信条採択
  ・讃岐教蕎麦食派を異端として排斥
  ・枢麺卿制度制定
・第1三木郡公集会(1125年)
 ・内容
  ・「麺くら~べ」制度制定
・第2三木郡公集会(1168年)
 ・内容
  ・「麺くら~べ」制度改定
・第3三木郡公集会(1182年)
 ・内容
  ・三味一体論の定義議決
  ・教団憲章採択
  ・讃岐・氷上信条採択
・第4三木郡公集会(1186年)
 ・内容
  ・「麺くら~べ」制度改定
・多渡野公集会(1192年)
 ・内容
  ・讃岐信条の正統性確認
  ・讃岐教新蕎麦食派を異端として排斥
  ・「勝頼の娘」議論終結
・第5三木郡公集会(1200年)
 ・内容
  ・「麺くら~べ」制度改定
・第6三木郡公集会(1219年)
 ・内容
  ・讃岐教単麺論派を異端として排斥
・第7三木郡公集会(1224年)
 ・内容
  ・教団憲章議論
  ・第8回公集会の決定を再確認
  ・「麺くら~べ」制度改定
・第2香川郡公集会(1237年)
 ・内容
  ・枢麺卿制度改定
  ・蕎麦教絶滅論者を排斥
・第1大内郡公集会(1276年)
 ・内容
  ・阿州総主麺の玄羽を追放
・第2大内郡公集会(1280年)
 ・内容
  ・正麺会の全信者(総主麺含む)を破門
・第3大内郡公集会(1333年)
 ・内容
  ・小麦軍結成の提案却下
・第1鵜足郡公集会(1368年)
 ・内容
  ・叙麺権条約承認
・第2鵜足郡公集会(1391年)
 ・内容
  ・教団改革
   ・川糯首座と敵対する司麺・枢麺卿の罷免
   ・修麺者の朱子学・大衆芸能の観劇禁止
   ・聖麺者の婚姻禁止
   ・聖麺者と修麺者の武芸禁止
・第3鵜足郡公集会(1397年)
 ・内容
  ・「麺くら~べ」制度改定
・第4鵜足郡公集会(1410年)
 ・内容
  ・教団本部を讃岐国から京都に移す
  ・聖麺者と修麺者の武芸解禁
・第1宇治郷公集会(1438年)
 ・内容
  ・利宗首座の敵対者を排斥
・第2宇治郷公集会(1440年)
 ・内容
  ・「麺くら~べ」制度改定
  ・枢麺卿制度改定
・第3宇治郷公集会(1484年)
 ・内容
  ・教団本部を京都から讃岐に戻す
  ・小麦軍承認
・寒川郡公集会(1591年)
 ・内容
  ・聖麺武装義勇団に対し解散命令
・山北村公集会(1602年)
 ・内容
  ・聖麺会との大分裂を一方的に終結を宣言
  ・首座首位説を承認
  ・枢麺卿制度改定
  ・麺霊問題決議
  ・公集会主義的教令採択
・第1中府村公集会(1607年)
 ・内容
  ・麺教改革宣言
・第2中府村公集会(1620年)
 ・内容
  ・龍尊派破門及び異端認定
・大亀町公集会(1653年)
 ・内容
  ・龍尊派容認
・津府村公集会(1674年)
 ・内容
  ・枢麺卿制度改定
  ・讃岐教のアイディンティテー
・大郷村(1823年)/竜川村(1899年)/第1高松(1932年)/第2高松公集会(1940年)
 ・内容
  ・異端認定
  ・首座任期20年制定(1823年)
・善通寺公集会(1969年)
 ・内容
  ・異端認定
  ・枢麺卿制度改定
  ・丸亀の奇跡(1964年)を奇跡と承認
・第1丸亀公集会(1979年)
 ・内容
  ・異端認定
  ・枢麺卿制度改定
・東京公集会(1996年)
 ・内容
  ・弟子憲章「首座選挙について」採択
・福岡公集会(1999年)
 ・内容
  ・他派・他麺派との対話推進を議決
・第2丸亀公集会(2012年)
 ・内容
  ・異端認定

小麦軍

丸亀の奇跡

龍尊派

・1617年、旧教の修麺麺祭だった龍尊によって福岡藩のうどん改革が始められた(95ヶ条の麺題)。
龍尊は最初、新しい集会所を建てるつもりでは無く教団内部の改革を目指していたが、旧教教団から
1620年に異端認定の上に破門された事により妥協を許せない状況になり、龍尊は明確な麺仰基準や組
織を必要とするようになった。
・1653年、博多の和議の結果と大亀町公集会により龍尊派は認められる。
・1680年、龍尊派の麺理的立場を示す「麺協信条」を制定する。

教義

・うどん改革の3原則「聖麺書のみ」「麺仰のみ」「恵みのみ」に基づく麺仰義認の立場をとる。
・集会所で保持されるべきは御言葉と2つの聖礼典である(洗礼と麺餐)。但し、麺餐は「うどん」
と「お茶」の二種陪餐である。
・信条として以下を重視している
 ・讃岐信条
 ・光善信条
 ・福岡麺仰告白
 ・博多麺証論
 ・大麺理問答
 ・小麺理問答
 ・麺協信条
・洗礼前教育においては、弟子信条と主の祈りを重視している。
・聖麺者階級を持たず、麺師は結婚も出来る。
・女性も聖麺者になれる。

組織

・西日本龍尊教団連盟
 ・本部:福岡県
 ・支部:熊本・長崎・佐賀・大分・宮崎・鹿児島・島根・鳥取
     岡山・広島・香川・徳島

連盟本部の組織図

新教理事会─────理事会────────総務局
        ¦─麺師委員会    ¦─財務局
        ¦─信者議会     ¦─財務局
        ¦─会計監査院    ¦─法務局
        ¦─選挙管理会    ¦─事務局
・新教理事会の構成
 ・常任議長    (任期:20年)
 ・加盟支部の支部長(任期:20年)
 ・麺師委員会委員長(任期:20年)
・信者議会の構成
 ・人数:200人
 ・選挙:5年に1回
・事務局事務総長
 ・任期:5年
 ・新教理事会で人選を決定し信者議会が承認する

連盟の歴史

・龍尊教団(1621-1869)
 ↓
・日本龍尊教団(1869-1890)
 ↓ ・長崎(加盟年:/支部数;)大分()熊本()佐賀()
・西日本龍尊教団(1891-1946)
 ↓ ・宮崎()鹿児島(1920/)岡山(1921/)
・日本龍尊教団機構(1947-1993)
 ↓ ・徳島(1947/)鳥取(1993/)
・西日本龍尊教団連盟(1994-)
   ・広島(1994/)島根(1998/)香川(2005/)


歴代常任議長

【麺座時代:世襲制】
・龍尊(1621-1659)
・龍景(1660-1670)
・龍紅(1671-1701)
・龍樹(1702-1732)
・龍伽(1733-1750)
・龍萬(1751-1790)
・龍吏(1791-1799)
・龍田(1800-1810)
・龍泡(1811-1815)
・龍侍(1816-1822)
・龍戒(1823-1824)
・龍導(1825-1845)
・龍蝉(1846-1869)
【教長時代:1891年、世襲制廃止】
・大谷龍尊(1870-1890)
・水野龍蒼(1891-1900)
【代表時代:1901年、代表者の名前の一字を龍にするのを禁止】
・前田信端(1902-1922)
・石橋光勝(1923-1943)
・田中岳弥(1944)
【議長時代】
・相川 卓(1947-1967)
・甲斐 剛(1968-1988)
【常任議長時代】
・神倉 洋(1989-1994/1995-2009)
・渡邉悠一(2009-)

歴代事務総長

・三重朝邦(1901-1906)
・渡邉文一(1907-1912)
・尾形啓範(1913-1918)
・藤原久文(1918-1923)
・白川邦人(1924-1929)
・小松正志(1930-1935)
・石井平生(1936-1941)
・宇垣三郎(1942-1944)
・大谷龍仙(1946)
・古川 直(1947-1952)
・木下 勇(1953-1958)
・坂井良忠(1959-1964)
・田中 茜(1965-1970)
・内田雅子(1971-1976)
・大谷龍如(1977-1983)
・飯塚武司(1984-1988)
・木下泰二(1990-1995)
・伊藤新平(1996-2001)
・沼川正光(2002-2007)
・本田 昇(2008-2013)
・春田洋二(2013-)

改革派教団

・小堀正一を指導者として水戸藩に始まり、鹿島郡の市村久三を中心とした世代に体系づけられた
水戸うどん改革のうどん学と、それに基づく段階的な会議制を特徴とした教団組織を自覚的に、し
かし時には批判的に受け継ぐ教派の総称である。

麺理

・改革派教団
 ・小堀正一「六十七箇条の麺題」(1623)
 ・作者不明「讃岐教入門」(1623)
 ・那須郡麺題(1628)
 ・茨城郡麺教者の麺仰告白(1628)
 ・小堀正一「麺仰の弁明」(1630)
 ・四郡四百十七村の麺仰告白(1630)
 ・常陸国教団集会(1634)
 ・下野国麺仰告白(1636)
 ・水戸麺仰告白(1636)
 ・市村久三「讃岐教綱要」(1636)
 ・常陸国麺題(1636)
 ・改革派教団麺仰告白(1637)
 ・改革派教団麺理問答(1642)
 ・多賀郡麺仰告白(1645)
 ・多賀郡協定(1645)
 ・市村久三麺仰告白(1652)
 ・吹上藩麺仰告白(1654)
 ・伊勢崎藩麺仰告白(1659)
 ・忍藩麺仰告白(1660)
 ・川越藩麺仰告白(1662)
 ・市村久三麺理問答(1663)
 ・久留里藩麺仰告白(1666)
 ・勇蔵麺仰告白(1675)
 ・市原協定(1695)
 ・祐一麺理問答(1707)
 ・竹田兄弟麺仰告白(1709)
 ・現代の改革派教団におけるうどん改革的麺仰告白の正しい理解に関する宣言(1934)
 ・東日本改革派教団の現代の状況に対する麺学的宣言(1935)
 ・わたしたちの希望の麺(1975)
 ・うどんの呼びかけ(1977)
・長老派
 ・上野国麺仰告白(1747)
 ・上野国大麺理問答(1748)
 ・上野国小麺理問答(1749)
 ・長老派宣言(1758)
 ・岩槻藩改革派教団一致定式(1775)
・修正主義派
 ・抗議の条項(1790)
 ・足利郡麺仰告白(1792)
 ・佐野藩麺仰告白(1794)
 ・足利藩麺仰告白(1795)
 ・修正主義宣言(1800)

教団運営

・教団の運営・活動方針を決める会議は3つの会で構成されている
 ・各集会所で信者と麺師が集まって議論する検討会
 ・加盟地域の地区長が集まって検討会で挙がった要望・要請をまとめ又、予算案などを決める協議会
 ・本部にて理事長及び加盟地域の支部長が集まり協議会の案件を協議し決定する審議会

礼拝と典礼

・聖麺書に規定されていない方法で神を礼拝することは認められない。
・幼児洗礼は認められるが、洗礼により新生を避ける。
・成人の場合、聖麺書などの基礎を一定期間勉強した後に本部の査問会で適正審査を受けた後に、
 礼拝などで教団に麺仰告白を行い麺師から洗礼を受ける

宗派

・改革派教団久三派
 ・改革派教団久三派は新田光福が龍尊派に改宗し小堀正一がうどん改革を指導し、川田進が
  後継者となり基礎を作り市村久三が発展させた。それでも、久三の大きな影響と麺仰告白
  や教団の議論における役割の為、うどん好きに久三主義として知られている。
 ・特質
  ・人間の全体的堕落
  ・無条件的選び
  ・信者の堅忍
  ・不可抗的恩恵
  ・限定的贖罪
・改革派教団長老派
 ・久三の教えと教団の運営に疑問を抱いた内山真充が1748年に分離して開いた教団。
 ・教義
  ・戒規麺の書
  ・上野国麺仰告白
・改革派教団修正主義派
 ・市村久三の教えを全否定する長屋早雲によって1790年に設立した教団
 ・1980年に久三派に合同し消滅
・改革派教団革命修正主義派
 ・1981年に久三派に合同する事を良しとせずに分離独立した教団

組織

・改革派教団久三派
 ・東日本改革派教団
  ・本部:茨城(水戸)
  ・支部:茨城(12支部)・群馬(3)・栃木(2)・埼玉(8)・千葉(4)・東京(10)・神奈川(3)
 ・歴代理事長
  ・小堀正一(1620-1631)
  ・川田 進(1632-1640)
  ・市村久三(1641-1664)
  ・勇蔵 (1665-1705)
  ・祐一  (1706-1756)
  ・宏治  (1756-1807)
  ・波幸  (1808-1868)
  ・長野 隆(1869-1899)
  ・南野 庵(1900-1940)
  ・遠野太郎(1949-1989)
  ・久保雨夜(1990-2000)
  ・大川富夫(2001-2009)
  ・小林士郎(2010-)
・改革派教団長老派
 ・うどん改革長老派団
  ・本部:群馬(前橋)
  ・支部:群馬(6支部)栃木(2)埼玉(5)千葉(6)
 ・歴代長老
  ・内山真充(1748-1788)
  ・景繋 (1789-1819)
  ・信棟  (1820-1845)
  ・重兵衛 (1846-1896)
  ・塩原杜助(1897-1927)
  ・相沢憲次郎(1928-1930)
  ・遠藤政夫(1931-1940)
  ・金井 仁(1941-1942)
  ・林 文郎(1943-1945)
  ・湯浅刀吉(1946-1950)
  ・中町静信(1951-1962)
  ・安中ひろ(1963-1972)
  ・小野紀一(1973-2003)
  ・後藤光兵衛(2004-2009)
  ・野川 隆(2010-)
・改革派教団修正派
 ・栃木改革教団修正会
  ・本部:栃木(小山市)
  ・支部:栃木(5支部)群馬(4)埼玉(3)
 ・歴代会長
  ・長屋早雲(1790-1820)
  ・長屋音庵(1821-1841)
  ・長屋一村(1842-1872)
  ・長屋卓一(1873-1913)
  ・長屋不山(1914-1934)
  ・長屋基比古(1935-1940)
  ・奈良忠辰(1941-1943)
  ・大出 渉(1944-1945)
  ・志賀石乃助(1946)
  ・松宮頼綱(1947-1955)
  ・長屋 満(1956-1970)
  ・長屋義定(1971-1980)

組織図

メソシズム派

・特徴
 ・日課を区切った規則正しい、うどん生活を推奨
 ・麺仰レベル別のミーティング重視
 ・社会福祉に熱心
 ・設立当初はうどんに興味の無い子供にうどんの素晴しさを伝える、うどん学校や
  流行歌に歌詞を付け口語による平易な賛麺歌を普及させた

教義

・確証麺理

組織

・日本うどんメソシズム教団
 ・本部;東京(文京区)
 ・支部:東京(21支部)神奈川(5)静岡(4)大阪(7)愛知(6)香川(2)長崎(2)
 ・歴代伝道長
  ・大木光恵(1840-1879)
  ・烏場任雅(1880-1900)
  ・久保 翁(1901-1917)
  ・松田五瀞(1918-1930)
  ・阿部尊緒(1931-1945)
  ・万家庄一(1946-1950)
  ・長谷部健(1951-1977)
  ・岡田光造(1978-1984)
  ・田尻弘彦(1985-1995)
  ・市来雷蔵(1996-1999)
  ・小橋友顕(2000-)

バプテスト派

・バプテスマを行う者の意味に由来しており、讃岐教プロテスタントの一教派。
・個人の良心の自由を大事にする。
・バプテスマは19世紀の中頃に広島で始まり、現在では関西地域に多く分布している。
・バプテスト派は修正主義派の流れを汲む普遍救麺主義を支持するUniversal Baptist
 と市村久三の流れを汲むSchedule Baptistに分かれる。

教義

・龍尊の始めた福麺主義よりも更に急進的立場で根本的うどん改革とも言われ、聖麺書を
 唯一の麺仰の拠り所とする聖麺書主義に立っている。

麺仰者のバプテスマ

・バプテスト派では全身を出汁に沈める(全浸礼)又、麺仰告白を行う事が重要である。
・バプテスト派の各教団では洗礼の語を避けて浸礼と呼ぶ。
・自覚的麺仰告白が出来ない新生児や幼児のバプテスマを否定する。

万人麺司

・バプテスト派では、職務として麺師が説麺と麺会を担うが麺師を含め全ての信者は
 身分においては平等であるとする万人麺司主義をとる。

会衆政治

・バプテスト派は、麺師と信者の間の身分的上下関係はない。
・教団運営は、教団員一人ひとりが平等な立場で参加した総麺会で決定される。

自主独立

・バプテスト派は各教団が自主独立の主体で教団間・集会所間のいかなる支配的関係
 も認めない立場である。

組織

・西日本バプテストうどん連合
 ・本部:広島(呉市)
 ・加盟地域:岡山(14地域)島根(8)香川(3)徳島(2)愛媛(2)高知(2)
 ・歴代伝道長
  ・青山 有(1870-1899)
  ・奥村 漣(1900-1929)
  ・奥田 叫(1930-1944)
  ・関 箏香(1967-1990)
  ・平  誠(1991-2003)
  ・尾崎 尭(2004-)
・九州うどん新生団
 ・本部:長崎(佐世保)
 ・加盟地域:山口(10)福岡(4)大分(8)熊本(3)宮崎(2)
 ・歴代団長
  ・金子宗次郎(1885-1900)
  ・沢 忠勝 (1901-1939)
  ・小池舟勝 (1940-1942)
  ・石田英朝 (1960-1979)
  ・服部太郎 (1980-1984)
  ・平塚信一 (1985-1996)
  ・木下エミ (1997)
  ・堀内典太 (1998-2009)
  ・木下可奈 (2010-)
・大阪バプテストうどん会
 ・本部:大阪(大阪市)
 ・加盟:奈良(8)和歌山(7)兵庫(2)鳥取(2)滋賀(1)
 ・歴代会長
  ・牧一太郎(1890-1910)
  ・横山通久(1911-1940)
  ・牧恵美子(1941-1944)
  ・赤間了一(1946-1976)
  ・佐藤文象(1977-1991)
  ・中田 昌(1992-2000)
  ・岸 知美(2001-)
・東日本バプテストうどん連盟
 ・本部:東京(台東区)
 ・加盟:埼玉(7)千葉(2)神奈川(4)長野(12)茨城(4)栃木(3)群馬(2)
 ・歴代連盟首
  ・伊藤幸二(1905-1940)
  ・増田達実(1941-1960)
  ・由利庄平(1961-1970)
  ・井上健一(1971-1990)
  ・長谷川洸(1991-1999)
  ・ロバート・ジャレット(2000-)
・中京バプテスト麺教団
 ・本部:愛知(名古屋)
 ・加盟:石川(9)富山(2)福井(3)岐阜(4)三重(5)
 ・歴代麺主
  ・奥田美子(1947-1950)
  ・小池晴子(1951-1955)
  ・青山純梧(1956-1959)
  ・安場専一(1960-1963)
  ・立木 稔(1964-1970)
  ・石原六朗(1971)
  ・香坂善好(1972-1975)
  ・仲谷秀雄(1976-1983)
  ・増田清二(1984-1998)
  ・香坂秀実(1999-2007)
  ・岩村弥生(2008-)

正麺会

・正麺会は最仁の12弟子継承を自認し、自身の歴史を初期讃岐教団に遡るとしている。
・組織は県名もしくは地名を冠した組織を各地に形成するのが基本。
・阿州うどん総主麺庁・うどん総主麺庁・うどん総主麺庁・うどん総主麺庁・北海道正麺会・
 秋田正麺会・宮城正麺会・山形正麺会・埼玉正麺会・富山正麺会・東京正麺会などは個別の
 組織名であって教団全体の名ではない。いずれの地域別の教団組織も正麺として同じ麺仰を
 有している。
・教団全体の名はあくまで正麺会であり、「北海道正麺に改宗」「秋田正麺に改宗」といった
 表現は誤り。

概要

麺仰の内容

教団の構成

集会所とは何か?

阿州うどん総主麺庁


  • 最終更新:2014-01-17 19:09:33

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